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奈良地方裁判所 昭和46年(行ウ)6号 判決

原告

岩城辰蔵

右訴訟代理人

本家重忠

被告

文化庁長官

安達健二

右指定代理人

伊藤瑩子

外六名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

(原告)

「被告が原告に対して昭和四六年九月二〇日付でなした別紙目録記載の建物に対する撤去命令を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

(被告)

主文同旨の判決

第二、原告の請求原因

一、原告は、昭和四六年四月一六日その所有にかかる奈良市法華寺町八五一番地(以下本件土地という。)に別紙目録記載の建物(以下本件建物という。)の建築を始め、同年九月一四日本件建物を完成させた。

二、しかるに、被告は原告に対し、昭和四六年九月二〇日付で、文化財保護法(以下単に法という。)八〇条五項の規定により本件建物の建築が特別史跡平城宮跡にかかる無許可現状変更行為であるとして、同年一〇月二〇日までに撤去することを命令する旨の処分(以下本件処分という。)を通知してきた。

三、しかし本件処分は適法な行政処分であるから、その取消を求める。

第三、被告の答弁および主張

(答弁)

請求原因一項の事実中、原告がその所有にかかる本件土地上に本件建物を建築したことは認め、その余の事実は不知。

請求原因二項の事実は認める。

(主張)

一、本件土地は特別史跡平城宮跡の一部である東院跡に含まれている(別紙図面参照)ところ、原告は法八〇条一項による被告の許可を得ることなく、本件建物を建築した。原告の右行為は特別史跡平城宮跡にかかる無許可現状変更行為に該当するので、被告は本件処分をなしたものである。

二、そして、次に述べるように、平城宮跡の文化財としての重要性および本件処分にいたるまでの被告と原告との交渉経緯をみれば、本件処分について違法のかどは存しない。

1 平城宮跡は、元明天皇の和銅三年(西暦七一〇年)に律令制度による古代国家の中心として建設されたいわゆる奈良の都の宮跡で、古代の条坊制にもとづく都城跡として現存する世界唯一の貴重な遺跡であつて、発掘調査により多くの遺構、遺物が発見され、学術文化の向上発展に寄与するところは大きく、日本歴史上はもとより世界史上もきわめて高い価値を有するもので、日本国民の文化的遺産として保存されるべき貴重な遺跡である。特に東院跡は、昭和四二年発見された約二〇万平方メートル余の宮域で、奈良時代後半における孝謙天皇(後に称徳天皇と再称)の東院玉殿や光仁天皇の橘梅宮などの存した地域にあたり、緑釉の瓦をはじめ、宮跡の他の地域に比べて特に見事な遺物、遺構が調査、発掘され、平城宮跡の中でも特色をもち、かつ重要な地域とみられている。

このように、平城宮跡はきわめて重要なものであるので、国は大正一一年に史跡に、昭和二七年に特別史跡に指定し、昭和四五年五月二一日には東院跡を特別史跡に追加指定した(右宮跡全域および右各年別指定地域については別紙図面参照)。そして右宮域全体の完全な保存と右地域に土地所有権を有する者が、右指定によりその所有権の自由な行使を半永久的に制限される結果被る損失に対する補償的措置を兼ね、住宅密集地区(指定当時すでに住宅地として集落を形成していた地区で、別紙図面青色および赤色の各部分)を除く宮域の私有地(その大部分が田畑である)を国が早急に買収し(東院跡を除く地域についてはその大部分をすでに買受け、東院跡については指定前の昭和四四年から買収に着手している)、右地城全体を国有化し、史跡公園として保存、活用すべく努力している。

2 前記のとおり東院跡は、昭和四五年に特別史跡として追加指定されたものであるが、右指定にあたつて、被告は、当該地区の土地占有者および土地所有者の協力を求めるため、それらの人々に対し、平城宮跡保存の必要性、保存整備計画、現状変更に関する計画、土地(但し、前記住宅密集地区を除く)の買収などにつき数回に亘つて説明会を開催した。また右指定は官報に告示する(法六九条三項前段)とともに、右指定のあつたことおよび指定区域を奈良市役所の掲示場、法華寺公民館および法華寺町掲示板に掲示し(同条四項)、さらに当時判明していた土地所有者に対し、右指定のあつたこと、指定地域内で建物の新・増・改築、土地形質の変更など、その現状を変更する行為をしようとするときは、被告の許可を必要とすることおよび特別史跡指定地域の詳細な図面を奈良県教育委員会と奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部に備えて縦覧に供していることを通知し、原告に対しても昭和四五年五月中旬地区自治会を通じて通知書を渡した。

3 原告は、昭和四五年九月七日被告に対し本件土地上の本件建物のうち一棟(平家建貸家用住宅)の新築による現状変更等許可申請書を法八〇条一項に基づいて提出した。被告は、これに対し平城宮跡の保存、活用の必要上重大な支障をきたすため、同年一二月一七日付で奈良県教育委員会を通じて許可しない方針である旨伝え、建築予定地を相当の価格で買取る旨の申出をし、その折衝をおこなつていたところ、原告は右折衝の妥結を待たずに昭和四六年四月一五日ごろ本件建物の新築工事に着手した。そこで被告は同年四月二一日付で現状変更等不許可処分としたものであるが、原告はその後においても被告および奈良県教育委員会による再三の行政指導にもかかわらず、右工事を続行した。そのため被告は、原告に対し法八〇条五項により原状回復を命ずることとし、その前提として同年五月三一日法八五条一項八号による原状回復命令に先立つ公開による聴聞を実施したほか、同年六月二五日付で右建築中の建物の自主的撤去の要請をなし、更に同年七月五日右建物撤去費用の国による負担の申入れをなし、同年九月一五日右費用の見積額(建築の用材をできるだけ再度使用できるよう丁寧に取り毀すことを前提とし、通常の費用の約二倍の金額)とこれによる建物撤去承諾書の提出要求を記載した文書を交付したが、原告は過大な撤去費用(右見積額の約三倍)を要求して譲らず、同年七月九日ごろから同年九月一二日ごろまでの間右工事を中止したほかは右工事を続行し、本件建物を完成させた。そこで被告は本件処分をなしたところ、原告は同年一一月一七日付で異議申立を行ない、被告は同年一二月二四日右申立を棄却したものである。

第四、原告の被告主張事実に対する答弁および主張

(答弁)

主張一項の事実中、本件土地が特別史跡平城宮跡の一部である東院跡に含まれていること、原告が法八〇条一項による被告の許可を得ることなく本件建物を建築したことは認め、原告の右建築が特別史跡平城宮跡の無許可現状変更行為に該当するとの点は争う。

主張二項1の事実中、平城宮跡について国が大正一一年史跡に、昭和二七年特別史跡に指定し、昭和四五年五月二一日東院跡を特別史跡に追加指定したことは認め、東院跡について右指定前の昭和四四年から土地買収に着手しているとの点は否認する。

同項2の事実中、東院跡の追加指定にあたつて被告がその主張にかかる説明会を開催したこと、右指定を官報に告示したこと、右指定のあつたことをその主張の各場所に掲示したことは不知。

同項3の事実中、原告が昭和四五年九月七日被告に対し被告主張にかかる現状変更等許可申請書を提出したこと、右申請に対し被告が昭和四六年四月二一日付で現状変更等不許可処分としたこと、同年五月三一日被告主張にかかる聴聞の実施されたこと、同年六月二五日付の自主的撤去の要請のあつたこと、同年七月五日建物撤去費用の国による負担の申入れがあり、同年九月一五日被告主張にかかる文書の交付のあつたこと(但し見積額の内容の点を除く)、原告が本件処分に対し同年一一月一七日付で異議申立を行ない、被告が同年一二月二四日右申立を棄却したことは認める。

(主張)

一、本件土地の周辺には、多くの人家が建ち並び、近隣においても鉄筋コンクリートの建物、文化住宅などが密集している。そして原告の本件建物は簡易な木造建築であり、地表から約六〇糎の土盛をして基礎工事をなし、その上に建築されたものである。従つて本件建物の建築は、周辺の状況、工事規模、内容からみて平城宮跡の現状変更および保存に影響を及ぼす行為のいずれにも該当せず、かりに影響が及ぶとしてもそれは極めて軽微であるから法八〇条一項の許可を要しないものである。

二、原告は、建築基準法、古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法など関係法令に基く確認許可、届出をすべてなし、あわせて法八〇条一項の許可申請も一応なしたのであるが、被告は長時間にわたり、右申請に対して許否の決定をなさず、しかも原告の本件土地所有権との調和をはかるための具体的な措置もとらないままに本件処分をなしたものである。

三、現状変更または保存に影響を及ぼす行為であるか否かの判断は、土地所有者などの受ける利益をも考慮し、地下遺構に与える影響について具体的に因果関係を明確にしてなされるべきである。しかるに本件土地については事前発掘調査がなされているが、本件建物の建築行為とその影響についてなんら具体的な結論が出されないまま本件処分がなされている。

四、本件建物敷地部分は、被告主張にかかる住宅密集地区若しくはこれに極めて隣接した位置にあり、しかもその西側には住宅が存している。被告は右地区内のこのような特殊性を配慮し、右地区内の現状変更を一定の条件のもとに許可しているものであり、その趣旨からしても、本件処分は著しく妥当を欠くものである。

第五、証拠〈略〉

理由

一、原告が特別史跡平城宮跡に含まれている原告所有の本件土地上に本件建物を建築したことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、本件建物のうち一棟は床面積71.02平方メートルの木造瓦葺平家建の借家住宅で、他の一棟は木造瓦葺平家建六帖一間の住宅であることが認められる。

二、ところで、文化財は、歴史、文化などの正しい理解のため欠くことのできないものであり、国民文化の向上発展の基礎をなすものである(法三条)。従つてこれを国民的財産としてその実体を明らかにし、公共のために保存、活用し、後世に伝えることは、地方公共団体はもとより、当該文化財所有者、その他関係者に課せられた責務というべきものである(法三条、四条一項、同条二項参照)。

そして法八〇条一項は、史跡名勝天然記念物として指定された文化財につき右目的を達成するために必要欠くべからざる規定であるというべきであるから、同条にいう「現状を変更する行為」とは、右指定のなされた当時の現状の物理的変更を伴なう一切の行為を意味するものと解され、史跡あるいは特別史跡についていえば、指定当時の土地(主体たるものの保護のため一体として指定された土地をも含む)の地表および地中の現状を変更する行為、具体的には当該地区の土地の形質を変更し、あるいは右土地上の建築物の新・増・改築、その他一切の工作物の設置行為(この種の行為は史跡指定地内の埋蔵文化財を破壊し、または地下遺構などの発掘調査を困難ならしめる虞れがある。)などがこれに該当し、これに対して同条にいう「保存に影響を及ぼす行為」とは、物理的に現状に変更を及ぼすものではないが、史跡名勝天然記念物たる動植物の棲息、自生、蕃殖、渡来などになんらかの影響を及ぼす行為など、指定文化財保護の見地からみて将来に亘り支障を来す行為を意味するものと解せられる。

してみると前項記載の原告の本件建物の建築は、法八〇条一項の現状を変更する行為に該当するものといわねばならず、かつ同条一項但書および同条二項による特別史跡名勝天然記念物又は史跡名勝天然記念物の現状変更等の許可申請等に関する規則第五条に定める各場合に該当しないこと明らかであるから、法八〇条一項の規定により、原告は本件建物の建築にあたり、被告の許可を受けなければならない(この点に関する原告主張一項は採用できない。)ところ、その許可を受けることなく右建築をなしたことおよび請求原因二項の事実(被告が本件処分をなしたこと)は当事者間に争いがない。

三、被告が法八〇条五項による命令をなすか否かは、その裁量に委ねられているところであるが、右命令をなすにあたつては法八五条に定める手続を履むばかりでなく、当該物件につき個人が有する所有権その他財産権を尊重し、それとの調和をはからねばならない義務のあることは当然である(法四条三項参照)ところ、被告主張二項の事実中、平城宮跡について国が大正一一年に史跡に、昭和二七年に特別史跡に指定し、昭和四五年五月二一日東院跡を特別史跡に追加指定したこと、原告が昭和四五年九月七日被告に対し本件土地上の本件建物のうち一棟(平家建貸家用住宅)の新築による現状変更等許可申請書を法八〇条一項に基づいて提出したこと、被告が昭和四六年四月二一日付で右申請を現状変更等不許可処分としたこと、被告が原告に対し法八〇条五項による原状回復命令をなす前提として、昭和四六年五月三一日法八五条一項八号による公開の聴聞を実施したこと、原告に対し同年六月二五日付で建築中の本件建物の自主的撤去の要請をなし、同年七月五日右建物撤去費用の国側負担の申入をなし、更に同年九月一五日右費用の見積額とこれによる建物撤去承諾書の提出要求を記載した文書を交付したこと、原告が本件処分に対し同年一一月一七日付で異議申立を行ない、被告が同年一二月二四日右申立を棄却したことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、同項その余の事実および国による買収価額は時価相当額でなされていること、近い将来本件建物敷地部分も国によつて買収されることが予定されていることが認められ、右認定に反する原告本人尋問の結果および証人本田義美の証言部分は採用できない。

右事実よりみれば、被告は本件処分をなすにあたつて、前記各義務をはたしていること明らかであるから、この点に違法のかどはなく、また原告が被告から平城宮跡保存の必要性および土地買収による補償的措置の実施などにつき、再三に亘る説明、指導を受けながら、文化財につき土地所有権を有するものとして受忍すべき前項記載の責務を自覚することなく、本件建物の建築を強行し、完成させたため被告が本件処分をなすにいたつたことも明らかであるから、その経緯に照らし被告が裁量を誤つたものとみるべき余地もない。

(右認定事実に徴し、原告主張二項は採用できない。また同主張三項については、そもそも地下遺構、埋蔵物などの所在の確認は長期に亘る調査を必要とするものであり、かたわら原告の受ける不利益に対する補償的措置として、適正価額による土地買収が予定されているのであるから、その主張のように個別的に因果関係を明確にする必要あるものとも認められない。同主張四項に関しては、住宅密集地区は、指定当時すでに住宅地として集落を形成していたため、住民の利益を優先させて国による買収の対象外とされ、私人の住宅地としてその管理使用に委ねた地区であるに対し、本件建物敷地部分は右地区に隣接しているとはいえ前記追加指定当時更地であつて、国による買収が予定されていたこと明らかであり、しかも証人坪井清定の証言によれば、右指定前の昭和四四年六月ごろ本件土地の一部(本件建物敷地部分の一部を含む)について発掘調査がなされ、本件土地の地下六〇ないし八〇センチメートルの深さのところに地下遺構の存することが認められる事実に照らし、本件土地の現状変更に対する規制と右地区内の土地に対する規制とが異なることをもつて、本件処分が妥当を欠くものとも認められない。)

四、以上の次第で、本件処分は、行政処分として適法かつ有効に成立したものといわなければならない。よつて原告の本訴請求は理由がないから、失当として棄却し、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(岡村旦 谷口伸夫 大山隆司)

〈目録・別紙図面省略〉

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